エリザベスサンダースホーム

  「丸 2010年11月号」(潮書房 刊)の表紙を見たら、”名戦闘機のを冠した小型惑星探査機「はやぶさ」の偉業”とあったので、何かなぁと思いながら読んでみました。

 名戦闘機との関連が何かあるのかと思って読みましたが、具体的には、関係ないようでした。

 それでも、書いてある内容には、改めて糸川英夫さんたちの苦闘がしのばれます。何しろ、きちんとした誘導法式ではなく「おおすみ」という日本初の衛星を打ち上げたのですから。

 何で、そんな誘導をきちんとしないでと思った記憶があります。これは、そうすることでミサイルの開発にと思われることを避けたからのようです。

 思えば、大変な時代だったんですね。

 純粋に技術ロケット・衛星として開発され、しかも大学という小さな組織で成功したことは、本当に驚きでしたね。

 何か、液体ロケットとの開発のすみ分けで、東大のロケットは、何メートル以下の直径の物とかというのを昔聞いたことがあり、何で、そんな制約をつけるのかまったくわかりませんでした。

 全段固体ロケットの衛星打ち上げなんて、誇るべきもので、つまらない制約をしたもんだと思った事を記憶しています。

 そして、数年前、ミューロケットの開発は中止するというのを聞いて、馬鹿じゃないかと思いました。

 何でも、複雑なシステムで、打ち上げまでの準備時間がかる、コストが高いなどの理由のようでした。

 その後、新しい固体ロケットの開発をJAXAで行うようですが、いつのことになるやら。

 打ち上げ能力と言い、優れたロケットだと思うのですが。

 この記事の著者も、糸川が残したロケットの中止を惜しんでいるようで、そう思う人もいるんだなぁという気になりました。

 それを読み終わって、ぱらぱらめくっていくと、戦後の浮浪児の物語として、エリザベスサンダースホームの話が出てきました。

 戦後の浮浪児、混血児といえば、小学生のころ、一人いましたね。名前は忘れてしまいましたが。

 我が家の門を勝手に入り、裏口から出て行った彼は、今どこにいるのかなぁなどと思いだしながら、読み始めました。

 第二次世界大戦後の1948年、三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である沢田美喜が、ある日、電車に乗って、棚に置いてある包みを取ったところ、混血児の嬰児の死体が落ちて、てっきり、沢田の子ではないかと疑いをかけられたことから、混血孤児のためのホームを作ることに東奔西走したことが書かれています。

 そういえば、エリザベスサンダースホームという名前もすっかり忘れていました。

 浮浪児でも、混血児は、当時,扱いが異なり、ホームへの入所が禁じられていたんだとか。

 知りませんでした。

 沢田は、GHQなどと掛け合い、接収された別荘地を子供たちのホームにすることを申し出たが、なんと、買い戻しという条件をつけられた書いてあります。

 この時、お金のない、沢田が、募金を呼びかけ、一番最初にお金を寄付してくれた人が、エリザベスサンダースさんと言う人だったので、その人の名前を取ったということでした。

 ページ数が少ないので、残念なのですが、丸も、いい企画をしますね。

 あの時は、軍事的な戦争に負けて、浮浪児となり、今は、経済戦争に負けてホームレスになる、嫌な時代です。

 しかし、いつの時代も、沢田のような人がいるというのも、救いなのかもしれません。


丸 2010年 11月号 [雑誌]
潮書房
2010-09-27

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