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zoom RSS 北山修 最後の授業

<<   作成日時 : 2010/08/31 00:50   >>

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 「最後の授業――心をみる人たちへ 」(北山 修 著/ みすず書房 刊)は、元フォーククルセダーズの一員であった著者が、九州大学での最後の授業をテレビで公開した物を収録したということでした。

 つい最近、NHKで放映したようでしたが、全く知りませんでした。

 2010年の春に退官したんだそうで、もう、みんなそういう歳なんだなぁと、改めて振り返ってしまいました。

 このなかで、意識と無意識、表と裏という事を”ことば”を介して探っていくという、臨床心理の方法に関して、フロイトなど引き合いに出し解説しています。

 何故、著者が、フォーククルセダーズをやめ、この道を選んだかという原点が、語られています。

 アマチュアバンドであった彼らが記念に1000枚プレスしたCDが、周りの人間に販売したところ売れず、それではと思って世に出したところ、思いがけなく数十万枚と売れてしまい、否応なしにマスコミに登場するということへの違和感があったんだとか。

 ライブで数百人規模の前で歌うのとは異なり、視えない客が何万人といて、知らない人に声をかけられる、視られているという恐怖が、そこのはあったようです。

 本の中で、裏が裏でなくなって表になっていくことが人間存在にとって本当にいいことなのか、ということや、患者と先生という二人の関係での会話が重要ではないのか、あるいは、幼児にとって母親は鏡であり、身体的・情緒的に交流する重要性を語っていました。

 計り知れない人間の心の裏と会話する大切さを説いているようでした。

 すべてが、数値に置き換えられ、効率化という物差しだけで、臨床心理学の世界も、図られるようになってきて、薬の投与で、数として実績を残したりすることの方ばかりに目が行ってしまっており、長いこと会話をつづけて、自然治癒でよくなったのか先生との会話療法で良くなったかわからないような非定量的なやりかたは、駄目になってきているんだそうです。

 大学の善し悪しを、何らかの数値で図っていくことの中に、あるいは、仕事の中に、定量的には重要性が表しにくいものがるということを、再度、見直さないといけないのではないでしょうか。

 レポート作成、レポート判定、そんなことばかりに時間を取られ、忙しい忙しいという事で、本来の、人間としての重要な、具体的に交流して何かを影響しあうということがおろそかになってしまった現在の社会状況を、考え直さないといけないような気がしました。

 詩は、あなたのために書くのであって、国語の教科書に載るために書くのではないという、書くことの初源性という人間の、コミュニケーションの原点を大事にしようといっているようです。


最後の授業――心をみる人たちへ
みすず書房
北山 修

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
こんばんは〜。いい記事ですねー。数量化しないと信じられない場面は医療以外にもあるので。
北山修さんは誰しもが聞いたことのある詩をたくさん書かれていたことに、最近になり知りまして、驚きました。北山さんの臨床のやりかたは知りませんが、おうおうにして、診察室では医師はPCに向いながら患者との会話を記録してるかのように見えてなりません。肌、唇の色、はぐきの色を見たりで、肌に触れた診療で、感にて診断することがなくなってきてます。結果として数値として現れる検査となります。
こうした傾向は風来未さんがご指摘の通りに、あらゆるジャンヌに表面化してます。工学研究も試験データの蓄積なのですね。研究とは仮想の科学なので、仮想だけでも素晴らしいとの認識もあってもいいのではとの想いです。別段データがなくても。。特に宇宙の生成史などは、ほとんどが仮定の科学(=哲学的)ではないでしょうか。
建築番匠は屋根の曲面カーブ取りはサシガネ一本でしてます。理論でなく、番匠にデータもなく、その場その場での腕に浸み込んだセンスでカーブを出していますね。
書くこと、それは創作の初源性の尊重ですね。
さとし君
2010/08/31 02:18
さとし君さん、こんばんは。
脳機能を即物的な脳部位に直結させて脳を解明していくということが大きく取り上げられる背景には、fMRIのような高度な器具によって、脳現象と脳部位との関係が強固に結びついていて、脳自体を何とかすれば、脳は解明できてしまい、それは、複雑な脳現象を希望部位という事で数値化できるということにより、卑近な言い方をすれば、因果関係を科学的であるかのようにレポートでき、成功につながるからだという事が言えるかもしれません。
まさしく、吉本が論破している下部構造が上部構造を規定するという単純な生産力理論に近い考えがされているという気がしないでも脳科学の現状ですが、その方が、数値化でき、デジタル処理し、シュミレーションも容易にできるので、効率よく試験結果や予測、レポート作成ができるという事があるからではないのかなぁと、この本を読んで思いました。
大学も教授も、いや、教育そのものが、効率と成果(それは数値で結果として出るという意味の)が一番重要で、対象となる人間の心を置き忘れてしまっている社会システムの一面を感じざるを得ません。
北山さんが、臨床心理学の分野でも、フロイトの言うように患者と先生という一対一で患者の心の裏・闇に問いかけ、解放していくという数値化できない方法での精神医療が、やはり数値化と効率性という錦の御旗で出来なくなってきつつあるという危惧を訴えているようでした。
風来末
2010/08/31 04:18
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