「生存者」と呼ばれる子どもたち

 ”「生存者」と呼ばれる子どもたち 児童虐待を生き抜いて"(宮田 雄吾 著/角川グループパブリッシング 刊)という本が、ふと目に入り、読んでみたら、何か、読み切れないほどの内容で、ハンカチを出してしまいました。

 『長崎県の情緒障害児短期治療施設・大村椿の森学園』という、児童養護施設のような、はじめて聞く名前の施設で、何が、どう違うのかと思ったら、児童養護施設+心療内科といったような施設なんだそうです。

 児童養護施設は、子供の避難場所であり、傷ついた心を治療するということは行わないのだそうです。そうなんだ、そんなこともなかったんだと、日本の現状に驚いてしまいます。この大村椿の森学園を作るにあたっても、開設に熱心であった園長の私財の投入、お金も用地も含めて、といった献身的な行為がなかったら、出来ていなかったみたいです。何しろ、県にいうと、お金がないという事なのだそうです。

 2007年の児童虐待の数は、4万6000人を超えるそうで、増加しているのだそうです。

 この数は、統計上でてきた数であり、おそらくこの何倍もの子供たちが、虐待の目に会っているのではないでしょうか?

 今朝の朝日新聞の投書欄に、虐待とかいじめとかということばで括ってしまうのはよくないのではないかという意見がありました。つまり、それらは犯罪であり、虐待とかいじめが、ちょっとした行き過ぎというニュアンスで終わらせてしまっているので、きちんと犯罪であるという前提で対処しないといけないのではないかというようなことでした。

 この本を読んで、まさしく、行政が、「虐待とかいじめ」を犯罪であるという認識で対処していないが故の不完全さを露呈しているような気がして仕方りません。何も、犯罪だから、警察で逮捕という事ではありません。犯罪と呼ぶのに等しい行為を、行政側が「虐待とかいじめ」という範疇に押しとどめることで、家庭内の問題であり、学校の問題であり、ひいては当事者だけの問題であり、行政は関与しないということを言っているからです。

 児童虐待の構成は、母子家庭、父子家庭、貧困家庭ということがはっきり表れています。

 第一編に出てくるヒロシ君は、父親のDVが激しく、母親がヒロシ君と幼い妹を置いて家出をしてしまい、その父親の暴力の対象がヒロシ君になり、けなげなヒロシ君は、幼い妹に害が及ぶのを恐れて、妹をかばい、一身に暴力を引き受けたのだそうです。

 見かねた周囲の計らいで、妹は、児童施設に入所したのだそうですが、父親と二人きりの生活が始まり、さらにエスカレートしたようです。

 このヒロシ君をめぐる職員の格闘。

 1年半という短期間で、何とか、こころを立ち直らせることができたヒロシ君は、母親の居場所が分り、母親と妹と3人で暮らせることとなったのだとか。

 ところが、母親は、男が出来て、またまた二人の子供を置いて出て行ってしまったんだそうです。

 ヒロシ君は、それにもめげず、こんどは荒れることもなく、きちんと生活を送っているんだそうで、よかったなぁと人安心でした。

 ヒロシ君の話に始まり、排便の出来ない子供、性的に虐待される子供など、痛ましい話が続きます。

 なんでも、虐待を分類すると、肉体への暴力、ネグレクト、精神的な暴力、性的な虐待の4種類に分けられ、性的な虐待が4%弱で、残りは、ほぼ3等分される比率なのだとか。

 子供手当もいいですが、こういった虐待の面を、もっと真剣に取り上げないといけないような気がします。

 まさに、お金だけの問題ではないでしょう。

 実態を、そして行政の対応を、もっとつまらない相撲問題ばかりでなく、このような、自殺や虐待の問題に焦点を当て、行政の不作為を問題にしなければいけないのではないでしょうか>

 行政不作為審査会を作って、公務員の不作為を検証するべきではないでしょうか?

 情短も、18歳までしかいられないのだそうです。

 親を選べない子供の悲劇は、誰が、救ってあげられるのでしょうか?


「生存者」と呼ばれる子どもたち 児童虐待を生き抜いて
角川書店(角川グループパブリッシング)
宮田 雄吾

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