極楽とても望みなく

 今日はお礼に川崎大師に、境内に入ると丁度2:30からの護摩法要に間に合ったので、久しぶりに本堂に上がりました。結構込んでいて、ほぼ満席、仕方ないので、一番後ろの板の部分に座りました。

 前座の法話も終わり、ようやく係の人が前に詰めてくださいということで、ようやく畳の部分に移動することができました。

 護摩も終わり、本尊に参拝し、じょうづかの婆さん水子地蔵とお参りし、池の方に戻りました。

 途中、お婆さんが猫に餌をあげていたので、立ち止まって見ると、その猫、先週、おえ~おえ~と言っていた猫で、お婆さんの上げるめざしを食べています。おばあさん、その猫がいる碑を囲むコンクリートのふちで寝そべっている黒ネコにもめざしをあげましたが、見向きもしません。お婆さんも孫らしき女の子が、その黒ネコの顔の前で、写真を撮っていましたが、これにも動じる気配がありません。

 キジトラの、おえ~、と言っていた猫だけが、むしゃむしゃ貰った餌を食べています。

 よく見ると、碑のわきにも、一匹和猫がいましたので、呼んでみましたが、ちらっとこちらを見ただけで、全く無反応でした。

 やはり、大勢の人に慣れているんでしょうね。

 今日は、少し、碑を見ようと思って、歩くと、高浜虚子が昭和33年に、新本堂へ本尊が安置された時に詠んだ歌がありました。

 金色の 涼しげなる法の光かな

 昭和34年になくなっているので、没する前年の歌ですね。

 どうも、ご本尊は、何度前に立っても、なかなかはっきりとは見えないので残念なのですが、智慧の光が放たれていたんでしょうか。

 そして、なんとなく気になったのが、施茶翁の碑で、瓢箪の形をしています。

 天保6年(1835)に建てられたもので、羽佐間宗玄と言う人の塚です。
 この人は雅号を瓢仙と称し、奇人にして常に「ふくべ」を愛していた。来訪の客にはいつも抹茶を供養することを楽しみとして、晩年を大森に栖し益々その風流ぶりを発揮したといいます。
   地獄いや 極楽とても望みなく
     又六道の辻で
         施茶翁

と書いてあります。

 地獄いや 極楽とても望みなく

 という句が、何故か気になりました。

 極楽いや 地獄とても望みなく

 とあれば、句としてはおかしいですが、意味としては、極楽なんてとんでもない、地獄だってどうだかわからないのに、という孤独な存在を感じるのですが、「地獄いや 極楽とても望みなく」では、??で終わってしまいました。



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