吉武輝子の戦争

 「本の旅人 6月号」に連載している、”わたしが一番きれいだったとき”が最終回となり、『吉武輝子の戦争』(梯 久美子 著)というタイトルで吉武輝子さんを取り上げていました。

 女性の権利闘争を行う女性としてしか頭になかったので、この梯さんの文を読んでびっくりしてしまいました。終戦直後、青山にいた吉武さんが、弟と一緒にいる時に、騎兵隊に所属するアメリカ軍人9人に出会い、レイプされたということで、その後の苦悩が綴られていました。

 まさに、青春時代を戦争一色で過ごし、米軍飛行機の機銃掃射を受けた時には、操縦士の顔まで見えたのだそうです。その時は、笑っているように見えた操縦士の顔も、実は、恐怖で引きつっていたのかもしれないと思うようになったそうです。

 そいて敗戦。民主主義を主導する国、アメリカの兵による暴行を、ただひたすらよい嫁さんになることを願っている母に告げられず、ひたすら黙っていたというくだりは、慰めてほしかったに違いないのになぁと思いました。

 後妻として娘を持つ父に嫁いだ母の苦しみ、世間のまなざしを肌で感じ、母の言う、”経済力さえあれば“という声を聞いて育ったわけです。

 この様な体験が、女性の自立、母のようにはなりたくない、という気持ちを強くさせたのかもしれません。

 東洋英和を卒業し、女性で大学なんていうことを頭から否定している父を口説き慶応大学に入学します。叔父の家に居候し(家賃をきちんと払う)、自活をしながら慶応大学を卒業するわけですが、就職難の時代でした。東映の社員募集に応募し、助監督を目指すつもりが五社協定で助監督は男しかなれないということが分り、しかたなく広報に入ったということでした。

 それまでの人生で、女性こそ女性に優しくなければならないと思っていた吉武さんは、戦争や暴力が、最終的には、弱い者、さらに弱い者に向かっていくということを語っていました。

 私たちは、この負の連鎖を断ち切らなければならないのでしょう。

 吉武さんの活動の基本が、この一点にあると言えるのかもしれません。

 このように、レイプの記憶も氷解しているのかと思いきや、”男性の威嚇するような物言いや、あきらかに女性を蔑視する振る舞いに接すると、身体が固まり、こころをとざしてしまう”のだそうです。

 それだけ、ぬぐい切れない深い心の傷となってしまうんですね。

 あの時奪われたものはなんだったんだろうと考えた時、”肉体を奪われた“とよく言うけれど、”幸せになろうとする意志”ではないかと分ったんだそうです。

 こういう体験があったから、今の自分があったのかもしれないが、それでも。やっぱりあの経験はしたくなかった、という事を最後に言われているのが印象的でした。


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのトラックバック