怪物 力道山

 「GONG ( ゴング ) 格闘技 2010年 07月号」(イースト・プレス 刊)にある『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 第二十八回』(増田 俊也 著)は、毎号楽しみにしている連載ですが、今月号は、木村を怪物とするならば、もう一人の怪物である力道山を生まれから、相撲を止めざるを得なくなった経緯を描いています。
 生まれも諸説あるのだそうです。大正13年とも大正11年とも言われ、公式的には、大正13年だそうですが、これは、どうも日本の国籍を取得するにさいしての戸籍を作る時の申請書類の内容が自己申告形式であるがための、力道山の申告に沿ったものであり、朝鮮での出自を知る人たちの間では、違うのだそうです。まぁ、大した問題ではないんでしょうが。

 13歳の時のシルム大会で相撲関係者に認められたが、長兄や母の反対でなかなか日の目を見ることがなかったのだそうですが、何とかこの反対を押し切って、日本で一旗揚げるべく相撲部屋に入門し、努力のかいあって、出世していくことになります。

 ところが、関脇の時に、西関脇に据え置かれたことかとなどから、それまでの朝鮮人への差別ということを感じていた力道山は、相撲を止めることになるわけです。

 今月号で書かれている力道山の姿は、異常なほど金と名誉欲にかられた力道山の生き方が、終戦前と終戦後で変ってしまったこと、終戦までは、努力をし、真面目であったのが、日本が敗戦国となり、朝鮮人が戦勝国として歓喜に沸いてから、すっかり変わってしまい、臆面もなく、金と名誉と権力にまい進するようになったと評しています。

 差別されていた者が、そのうっ憤を晴らすように、1200ccのインディーズに乗って場所入りするとか、朝青竜の比ではないですね。

 結局、本当は何がそうさせたかはわからないのですが、力道山は、変ってしまったのです。

 ただ、本当に、グラスを齧って、血だらけになりながらも食べてしまうとか、個人の得体のしれない何かを感じざるを得ないということもあります。

 髷を切った後、一度、相撲への復帰を図ったが、力士会の反対でダメになったこともあるのだそうです。そこまで、反感を買っていたら、戻れないのは分っていただろうに世思いますが。

 何か、朝青竜を2周りも3周りも怪異性をもった姿を思い浮かべてしまいました。

 その怪異性が、個人の資質なのか、時代が作ったのか、両方なのか?
GONG (ゴング) 格闘技 2010年 07月号 [雑誌]
イースト・プレス

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