遍照金剛

アクセスカウンタ

zoom RSS それは猪瀬直樹への挑戦から始まった

<<   作成日時 : 2010/04/23 19:25   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 青木完敗の文字が飛び込んできました。五味に続き負けたみたいですね。手に取り読み始めます。ストライクフォースでの青木の負けを読み、あれあれ、と思ってしまいました。そう思えば思うほど、エリオグレイシーに敵地で勝った木村政彦に思いがはせます。

 「ゴング格闘技 4月23日号」(イースト・プレス 刊)に連載中の増田 俊也 著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』派番外編となっていて、著者が木村政彦に対する執筆を始めるきっかけを話していました。

 それは、1973年75歳で亡くなった木村政彦に関する猪瀬直樹の週刊文春の記事に憤りを覚えた方だということでした。

 その時の猪瀬の記事の抜粋が載っています(「禁忌の領域 ニュースの考古学2. 猪瀬直樹; 文藝春秋;」所収)。

 生前、猪瀬が木村に取材を申し込んだが幾度となく断られた末、何とかインタビューに応じてくれたのだそうで、その時のインタビューを基に、木村政彦の死の感想を書いたものですが、木村が力道山に負けたことに関して、次のように言っていたと書いてありました。

「あいつは卑怯な男ですよ」
と木村は僕にいった。
「だから、殺したんだ」
しかし、彼はあなたに殺されたのではなくヤクザに刺されて死んだんですよ。
「いや。殺した」
どうやって?
「ここですよ」
と木村は額を指さした。僕は意味がわからなかった。
「ここに”殺”と書いたんです」
書く? ああ、イメージで前頭葉のあたりに字を描いたわけですね。
「そうだ」
そんなことをしたって人は死にません。
「いや、死ぬんだ」
念力ですか。納得できませんね。
「信用しないのなら、あんたについても”殺”を書こうか」
しばらく気まずい沈黙がつづいた。
木村は、眼を閉じ昔話をはじめた。


 著者は、このような、晩年、あたかもアルツハイマーの老人を描くように、木村を描く猪瀬が許せなかったのだということでした。

 柔道を学び、木村政彦の偉大さをリカしている著者にとっては、晩年の木村の姿を、このような面でしか書かなかった、いや、木村にあこがれた多くの柔道家・日本人の気持を逆なでする書き方に憤りを覚えたのでしょう。

 木村政彦とは、何だったんでしょうか?

 考えさせられます。


GONG (ゴング) 格闘技 2010年 06月号 [雑誌]
イースト・プレス

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
SHARPER IMAGE イオニックブリーズMIDI レッド
SHARPER IMAGE イオニックブリーズMIDI レッド
それは猪瀬直樹への挑戦から始まった 遍照金剛/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる