民主党政権の現在

 「中央公論 4月号」(中央公論新社 刊)に、『◆〈アジア的なもの〉と民主党政権の現在 吉本隆明×中沢新一』という対談記事が載っているということで、ブックファーストに行き読んできました。

 5~6ページだったので、中々、踏み込んだ話にはなっていませんでしtが、要点としては、タイトルのパーレンで囲まれた(アジア的なもの)という点に絞られてくると思います。

 立ち読みのため、細かな用語は正確には記憶できなかったのですが、以下のような点が述べられていたように思います。

 ここでは簡単に、アジア的な特徴として、権力移行がある時に、従来の社会的・政治的な機構を排除し、さらに作り出すということをしないで、従来の機構の上に、接ぎ木をするようなやり方であるということを述べているように思えました。

 このアジア的ということを考慮したうえで、今後の消費社会の行方を考えなければならないというのが趣旨のようです。

 例えば、今後、アメリカのような国家統制消費社会(?)と中国のような社会主義消費社会(?)との現象的な姿が似てきて、どちらがどちらだかわからなくなってくるようなことになるが、この腑わけこそ大事になって来るというようなことを言っているようでした。

 具体的には、民衆主義と民主主義の違いなど、インターナショナルなものとナショナルなものとの違いというようなことなんでしょうか。

 民主党に関しては、レーニンの手前までは行くが、その先に行ってはいけないということでした。

 どうも、対談で短いページ数なので、立ち読み程度では、??な点も多々あり、このレーニンの先の部分や、中沢新一が、三国志を出してくるあたりは、??でしたね。

 ただ、どこかのブログで、吉本がレーニンの「国家と革命」を述べたあたりで、国家の管理していたことを民衆の手にゆだねるということから、党や国家を消滅させるという点に踏み込んでいることを唯一評価できると言っているのに対し、レーニンのいう権力奪取を民営化というのは吉本のジャーナリストの才などと揶揄するものがありましたが、この方が、いみじくも次の段落で言っているように、レーニンが党や国家解体まで論じているから、レーニンの「国家と革命」が唯一、認められるものであると言っているだけだと思うのですがね。

 いみじくも、レーニンなどの限界がロシアとという中進国家出の限界であり、現在の高度資本主義の時代、消費社会の時代には、不適合であると言っており、権力奪取という形態も、民主主義という形態も、実は、見直さなければならないということではないのでしょうか? この方の言う権力奪取の形が見えないので、何とも言えないのですが、単純に、吉本が「権力奪取=民営化」と言っていると置き換えて批判しているにすぎないような気がしてきます。

 まぁ、この短い対談では、説明不足で不明な点は出てきますがね。ただ、あまりにも話の内容を単純化して考えるのも、駄目だなぁという気にさせられました。
 
中央公論 2010年 04月号 [雑誌]
中央公論新社

ユーザレビュー:
壁が溶かされる。池田 ...
脳学者がハマる話脳を ...
吉本・中沢対談〈アジ ...
amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ商品ポータルで情報を見る


ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのトラックバック