ありがとう小沢一郎 僕たちは卒業します

 「SIGHT 43号」(ロッキング・オン 刊)は、”総力特集 「ありがとう小沢一郎 僕たちは卒業します」”ということで、なにを卒業するのかと思いましたが、内田樹×高橋源一郎の対談があったので、読んでみました。

 どうも、すこしいい加減だなぁという気がしましたね。本当かどうか知りませんが、はじめて、小沢一郎の著作を4冊読んだのだそうです。

 これは、これでいいのですが、事実なんでしょうから、あついは、みんな小沢一郎のことを批判するが、まともに著作を読んでないんじゃないの? ということの皮肉で言っているとすれば、ここで終わりですね。

 だって、きちんと小沢一郎の意見を読めよ、ということを言えば、この対談は終わりでしょう。

 それでは話にならないので、終わりまで読みましたが、一つは、小沢一郎は日本人の基本的な感性を抑えている。それは、物いわぬ農民を原像として抱えているからであり、それは、田中角栄の教えでもあり、小沢一郎の出自にもよるものであり、何か、吉本隆明の大衆の原像の取り込みに似ているということを言っていました。

 官僚、検察、マスコミに対する、すなはり、しゃべる人たちに対する、しゃべらない人たちのルサンチマンを内蔵しているということのようでした。

 農本主義的な心性を小沢一郎の根源的な価値観とみなしており、それは、旧来の農民がいなくなった現代では、成立していかないのではないかということのようでした。

 「しゃべらない心、大衆の原像、農民」、と簡単に結び付けていき、小沢一郎の考え方の限界を示唆するのは、ちょっと違うような気がするなぁと思いました。何故、しゃべらない=田舎=農民なのかがわかりませんね。

 現象として、人間が、言葉を発する、発しないということとは別に、いくらしゃべってもしゃべられない心という意味で、沈黙とはあるのではないでしょうか。

 そう考えれば、しゃべる=都会=権力、しゃべらない=田舎=農民とは対地つ要因ではないような気がしますがね。

 彼らの言う文学的なのかどうかはわかりませんが、沈黙の価値とは、実際に発生する言葉の高とは違うのではないでしょうか?

 この二人が、結局、小沢一郎をどうしたいのかわからない対談でしたが、図式的な関係の上に、小沢一郎のファシズムへの危惧に言及するにいたっては、なにを持ってそういうのか分りませんね。

 まぁ、確かに、小沢一郎が何を考えているのか、著作を見る必要があると思います。

 今の政治家の中では、きちっとした考え方をしているもは、この人ぐらいしかいないような気がしていますので、表面的なことでマスコミが小沢一郎を追い落とそうとすることには、やはり、傲慢・稚拙な人たちの欲でしかないように思えてしまいます。

 しかし、この二人も、こんな程度かと思うと、いささかがっかりですがね。でも、もっと本を読んだらと言っているのかもしれませんが。

SIGHT ( サイト ) 2010年 05月号 [雑誌]
ロッキングオン

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