遍照金剛

アクセスカウンタ

zoom RSS 無縁社会

<<   作成日時 : 2010/03/31 01:31   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

 「週刊ダイヤモンド4月3日号」(ダイヤモンド社 刊)は、『無縁社会 - おひとりさまの行く末』と題して、孤独死を取り上げていました。1月に放送したNHKスペシャル「無縁社会」に引き続き、日本の核化された社会の行く末を危惧している内容となっています。

 NHKの放送は、見たような気もするし、見なかったような気もするし、はっきりとは覚えていないのですが、想像するに、すべての関係が希薄になり、ただひたすら個に縮小していく社会、高年齢化する社会等を考えれば、さもありなんという気持ちになります。

 ”途絶えた血縁、地縁、社縁 静かに深く進む「無縁社会」”にあるように、効率の良さの追及は、確実に、”縁”を切るという社会を作っていくとしか思えません。例えば、それは、トヨタが通った後には、草木の1本も生えない(人っ子ひとりいない)と言うように揶揄されるのと同じに、人間の”縁”を切ることで手に入れた効率のよい社会の姿の菜緒かもしれません。

 今、私たちは、一皮むけば、いつだって社会の底辺に転げ落ちてしまうという、実は、タイトロープを綱渡りしている人生を旬でおり、何かしたきっかけで、青樹ヶ原に行っているのかもしれない情況に、皮相的に平和のオブラートをかけているだけなんだという気がして仕方ありません。

 社会の根幹としての共同性が喪失している、歯槽膿漏の社会になってしまったのではないでしょうか?

 行旅死亡(こうりょしぼう)という死亡者が増えていくんでしょうね。

 私たちの社会は、何が間違っていたんでしょう。

 香山リカさんは、囲み記事の中で、飯島愛の死亡を取り上げ、亡くなった時の悲惨な状態はともかく、本人が、それまで生きてきた生き様は、決して彼女にとって悪くはなかったのではないか、亡くなった時の状態の悲惨さは、その人の人生が悲惨であったということにはつながらないのではないかということを言っているようでした。

 確かに、亡くなる時に孤独であるかどうかと自分の人生の満足度とは、その人からみたら別個で、亡くなりかたの悲惨さは、亡くなった人自身の意識ではなく、周りの人の意識でしかないわけで、一見、そういう風にも見えますが、もし、魂が死後もあり、己の死の状況を見たときに、悲惨とは思わないもんかなぁという気になってしまいます。

 確実に、死は死者にあるのではなく、生き残った人の方に死はあるわけですが、なんとなく、割り切れない思いがします。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文
SHARPER IMAGE イオニックブリーズMIDI レッド
SHARPER IMAGE イオニックブリーズMIDI レッド
無縁社会 遍照金剛/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる