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zoom RSS 龍馬の刻(とき)の剣

<<   作成日時 : 2010/03/16 00:32   >>

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 『龍馬の刻(とき)の剣』というのは、「月刊 秘伝 2010年 04月号」(BABジャパン 刊)の特集記事です。

 幕末の江戸時代の剣術・剣道に関して、記述されています。お、ここでも「龍馬」化と思いながら、手に取ってみました。

 へ〜と思うことがかなり書いてあり、素人にも面白い内容になっていました。

 特に、江戸時代末期の剣術道場の地図は、こんなに道場があったのかと思ってしまいました。それも、現在のコンビニのように、ごく近距離に道場がひしめいていて、みんなよく習っていたなぁと感心してしまいました。

 地図にある北辰一刀流千葉周作道場など、ここに合ったんだと思ってしまいました。それも、門弟が3,000人もいたというではないですか、現在の人口比率で考えれば、すごい数の人数なので、何で、そんなに人気があったのかと知りたくなってしまいます。

 千葉周作といえば、赤胴鈴之助、四角顔の周作の顔が浮かんできます。真空切りはないにしても、剣術の流派って、このような物語で覚えていますね。それが、本当に、ここにあるというのが地図上で確認できて、なるほどと思いましたね。

 昨日、テレビで、市中引き回しという江戸時代の刑罰に関して説明していましたが、小伝馬町を出て、田町へ行き、反転して、皇居をぐるっと回り上野に向かい、元に戻る、約30Kmという道を女性が歩いて尋ねるということをやっていました。その周回範囲の広さを考えると、すごい密度で道場があったんだなぁと、またまた驚いてしまいました。

 斬り合いなどがなくなり、竹刀などの、いわゆる現在の剣道に近い形でのけいこになっていたそうで、まさしく、今の剣道A近く、実践とは、ちょっとりがっていたんでしょうね。

 だから、近藤勇がいた試衛館では、その当時、多く来た道場破りに手を焼いて、近くに合った斎藤道場に頼んで、道場破りの相手をしてもらったというようなことが述べられていました。それほど、実践剣術と剣道では違うんですね。

 まさに、この天下泰平の時代に、万延元年から8年ぐらいの短い季刊、実際の剣による戦いがあったということでした。

 急に、剣道から実践の時代になったということで、驚いたでしょうね。

 江戸3大道場など、掲載された地図で示されており、今月号を読んでいると、龍馬というより、あだ花のごとく咲いた実践剣術の戦いに思いをめぐらされました。

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