拷問するなら、されるなら

 ゴルゴや白竜ならば、いかなる拷問にも耐える超人のような感じですが、生身の人間としては、まあ、あーゆー風にはいかないなと思うのが普通ですね。

 先日、テレビを見ていたら。< a href="http://www.hi-net.zaq.ne.jp/ogi/sub14(keiji).htm">明治大学刑事博物館での取材の場面があり、エビ責めなどの場面をちょうどやっていました。

 そんなこともあってか、ブックファーストを歩いていたら、「拷問するなら、されるなら」(高平 鳴海 著/メディアファクトリー 刊)という本が目に入り、読んで見ちゃいました。

 色々あるのでしょうが、読んでいると、よくまぁ人間というのは、こんなことまで考えるもんだと。改めて、動物よりひどいことを”考える“ものだなぁと、呆れてしまいました。

 話には聞いていた、のこぎり引きの刑では、首まで穴に埋めた罪人を、置いてあるのこぎりで、誰でも弾けるようになっていたということですが、さすがに、江戸時代、世の中が安定すると、誰もやらなくなったばかりか、逆に、引かせないように見張りがついたのだそうです。残酷さは、世の中の安定感とも連動するんでしょうか?

 この項目を読んでいても、逆さに吊るして、縦にのこぎりを引くなどというのもあったそうで、こうなると一体、罰とは何かと思ってしまいますね。

 精神的な拷問では、額に、水を滴らせて眠れないようにするというようなものもあるそうで、驚いてしまいます。

 テレビを見ていると、芸人さんが、熱湯(?)につかるゲームなどが、これでもかと放映され、拷問に近いようなことが公然と茶の間に入ってくることが当たり前の現代、何か、異常さを感じてしまいますね。

 「 拷問するなら、されるなら」の両方とも嫌ですが、人間の何が、そうさせているんでしょうか?


拷問するなら、されるなら (ナレッジエンタ読本)
メディアファクトリー
高平 鳴海

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