冷泉家のひみつ

 「芸術新潮 11月号」(新潮社 刊)の特集、『京都千年のタイムカプセル 冷泉家のひみつ』とあり、冷泉家という名前は知っていたのですが、どういった家系なのかということは知りませんでしたので、どれどれと思って読んでみました。

 藤原 俊成、定家につながる家系だったんですね。二条、京極、冷泉という3つの家系にわかれたのち、唯一、冷泉家だけが生き残ったということで、家系図の長さを見てびっくりしたのと、政治にかかわるとつぶされる可能性が高いんだなぁと二条、京極の行く方を見て感じました。

 ”はじめに”でまとめられている編集部の記事が、おおまかな”冷泉家”の成り立ちを説明していて参考になりました。このころの話って、いつもつまみ食い程度なので、そうだったんだと思うことばかりです。以下に、編集部が書いた”はじめに”を抜粋します。

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 俊成の子・定家は、俊成や西行に学びつつ妖艶をきわめた歌を作ると共に、王朝文化の学問的な探究を開始した。学者としての定家は、それ以後の人間が“古典”としての王朝文学を仰ぐための窓のような存在というべきか。つづく為家(ためいえ)(1198~1275)は、父の定家や祖父の俊成にくらべると影が薄い。が、「歌の家」を社会的に確立したのは、じつは為家だったかもしれない。御子左家は、為家の子供たちの世代に、二条(にじょう)・京極(きょうごく)・冷泉(それぞれの邸宅があった京都の地名にちなんだ“屋号”)の3家に分かれ、中世の歌壇をリードしてゆくことになる。そしてその時、多くの人々が目指したのは、『新古今和歌集』の天才たちのきらめく珠玉である以上にむしろ、たゆまぬ「稽古」によって第一人者となった為家が奨めた、平明にして温雅な作風だったのである。


 どうして、冷泉家に、貴重な書物が残っているかということで、時代を下るにつけ、官職も専門職に特化し、それぞれの得意な分野を生かすようになったということでした。蛙の子は蛙ということで受け継がれたんでしょうかね。

 この特集で、こんなことまでと思ったのが、製本の話が出ていて、”明月記”のような「巻子本」の、巻物をどういう風に糊づけし、ぺらの紙から巻物にするかといった図解や、「巻子本」は読みにくいので、「折れ本」が実際には読まれていたなど、こうやって長い巻物を作っていたんだと感心しました。

 さらに、背をのりで固める粘葉装(でっちょうそう)や糊を使わず糸でくくった大和綴じなどのような説明まであって、面白かったですね。

 ”京都御苑の北のはずれ、現存する唯一の公家屋敷に暮らす冷泉家の人々は、その定家の直系の子孫です。”とコピーにあるように、1000年近くも続いていることに驚いてしまいました。


芸術新潮 2009年 11月号 [雑誌]
新潮社

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