毒キノコで死んだキノコ名人

 「J‐novel 2009年11月号」(実業之日本社 刊9のオン・ステージというエッセイのコーナーで、久坂部 羊さんという外科医の方が書いているのを読んで、なるほどと思いました。

 あるキノコ取り名人が、自分のとったキノコを食べてなくなり、それを非難をする人がいたということを題材にしているのですが、キノコ取り名人といっても神様ではないので、間違いもあるのだから、仕方ないではないかというのが、まぁ、誰が思ってもそうだと思います。

 でも、名人と言われると、それ以上の無謬性を求められてしまいます。しかし、本人は、自分が間違うこともあると知っていたはずではないかと著者は考えます。

 例えば、がんの名医といわれるお医者さんが、自分のがんには対応できなくてなくなってしまうという事例もを関上げると、どうして自分のことは分らないのだろうかと思ってしまいます。患者に対しては絶対的な信頼が必要なのに。

 「紺屋の白袴」とでも言うんでしょうが。

 著者の疑問は、このキノコ名人が、なぜ、キノコ名人を演じ続けなければならなかったかということのようでした。

 そうか、確かに、囲碁の名人と異なり、キノコ名人には、名人であり続けなければならないというわけですね。ただ、名人は何人もいるのでしょうが。







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