まじめの崩壊

 「まじめの崩壊」(和田 秀樹 著/筑摩書房 刊)は、かつて言われていた日本人の”まじめ”という性格的な特徴に焦点を当てて論じており、なるほど、こういう見方もあるんだと思いました。

 精神病理学的には、精神疾患の分類は、統合失調症と躁鬱症の二つに集約できるのだそうで、前者の気質が顕著なものを「シゾフレ人間」、後者を「メランコ人間」とすれば、日本人とドイツ人は、メランコリー親和性格、つまりメランコ人間であり、特徴としては、まじめ・几帳面・義理人情にがんじがらめになりやすく、うつ病になりやすいような性格の人々が多勢を占めて国民気質を形成していると、テレンバッハという学者が発表し、1960年代には、大きな話題となったのだそうです。

序章 「日本人はまじめ」という神話が崩れている
第1章 まじめな国民性の崩壊
第2章 平気でウソがつける日本人
第3章 義理人情の崩壊
第4章 まじめでない子どもと若者たち
第5章 拝金主義とまじめの崩壊
第6章 「ルールのない国」の危険な将来
第7章 「まじめの崩壊」は日本に何をもたらすか
第8章 まじめ社会の再建の意義


 という目次を見ていただければ、わかるように、”まじめ”の崩壊がもたらしている現状に対して大きな危機感を、著者は抱いています。

 崩壊の原因としては、受験競争を一面的に悪としてきたことお金がすべてという考え方などを要因として挙げています。

 私たちは、”まじめ”とは何か、を再考しないといけないのだとは思いますが、”面白ければいい“という考え方が、支配してきた社会を、また、再考しなければならないような気がしました。

 ”まじめ”というと、こつこつと日々何かに努力する姿、臥薪嘗胆・刻苦勉励などといった言葉を思い出しますが、何に対して、それが社会で何を意味するのかといったこと抜きで語られることの怖さもあると思います。

 最近では、”面白い”ということが、”もじめ”にとって変わられている気がしますが、あいつは面白いやつだとか、”面白い”に、強者に対する卑下や屈服などの非人間性が感じられてしまうという問題は、”まじめ”の崩壊の要因として、大きいのではないでしょうか?

 先程、アメリカの犯罪を犯した二人の若者が、一人は、また、元の仲間に戻り、薬物販売などの犯罪を繰り返し、もう一人が、犯罪とは縁を切り、こつこつと、それこそ真面目に、商品を販売する道を歩んでいるというレポートを行っていました。

 この犯罪に戻ってしまった青年の理由がインタビューで放送されていました。

 ”ファースト マネイ”が、自分の性分に合っているのだそうです。鬼平によく出てくる”いそぎばたらき”というんですかね。こつこつと仕事をこなして、わずかの金を得るのはいやなのだそうです。

 確かに、昨今のFXをはじめとした金融投資での、お金だけを中心として回っている社会をみると、”まじめ”は、ダサくて、ばかばかしいのかもしれませんね。

 あまりにも早く、”まじめ”が意味を持っていた時代から、”まじめ”が有効ではありえなくなっている時代に変貌してしまったのではないでしょうか。

 性格気質の問題より、このような社会の変貌の方が、大きな問題のような気がしてしかたありません。

 資本と倫理の乖離、つまり、金融資本の肥大化に陥って、次の資本主義の展望が見えないところに、大きな要因が潜んでいるような気もします。

 本書は、そういう意味でも、”まじめ”という点から見た時代の姿を浮かび上がらせていて、色々なことを考えさせられた本でした。

まじめの崩壊 (ちくま新書)
筑摩書房
和田 秀樹

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