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zoom RSS 歴史としての「全共闘」

<<   作成日時 : 2009/09/11 01:30   >>

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 「中央公論 10月号」(中央公論社 刊9では、特集"歴史としての「全共闘"」で。3本の記事が掲載されていました。最初は、大日方 公男さんによる吉本 隆明へのインタビュー記事で、『天皇制・共産党・戦後民主主義』というタイトルです。60年安保の時などと異なり、全共闘が、右翼でも左翼でもなく、天皇制を相対化・無化したことを取り上げていました。

 大学自治を唱えていた東大の加藤学長が、機動隊を導入し学生を逮捕させたこと、丸山 真男が、荒らされた自分研究室を見て、ファシストでもしないと言ったことなど、それこそ、それまでのインテリの仮面を剥がしたことなど、従来の主張を語っていました。

 私が感心したのは、最後の方で、現在、いわゆる従来言われる精神分裂病を薄く蔓延させたような社会状況の中で、何のために生きてきたんだという考えが出てくることに拮抗しなければならないのと同じように、全共闘というものをすくい上げなければならないということを述べられており、さすがだなぁと思いました。

 つまり、ちょうど全共闘の時代に、本来無償である”水や空気”が商品として販売され始めるという象徴的なことが起こり、それまでの古典的な経済学の終焉をもたらした、というか古典経済学ではとらえきれない時代になっていったという認識を述べており、マルクス経済学の限界を言っています。しかしながら、その中からマルクスの自然哲学をすくいだしたように、全共闘の中から、何かを掬いだすことが求められているのだと言うことのようでした。

 さらに、思想性の背後に、どうしても宗教的なものを感じざるを得ないという点を、気にしているのが印象的でした。

 次の『鉛の歳月の彼方に ―なぜ内ゲバを問題にするのか』(四方田 犬彦 著)では、著者の70年代初頭の内ゲバでの熾烈な殺戮が繰り広げられた、生々しい状況を語っていました。革マル、中核、社青同解放派による日常的なリンチなど、そんなにひどかったんだと、改めて、思いかえいました。

 著者の周囲の人間模様、その後の人生、たとえば、民青から共産党の議員になっているとか、へぇ〜と思う内容でした。著者の本を読んだことがないので(吉本 隆明さんの本で、犬彦の犬も使い方は、卑下した意味かと思っていたのですが、昔は、犬というのは、高貴であるというような事が書いてあったので知っていましたが)、今度は、読んでみようかなぁと思いました。

 この中で、一番驚いたのは、韓国でも、黒田 寛一の本が韓国語訳され、当時、隠れて読まれていたということでした。

 最後の『反抗の快感と最後の家庭内暴力』(竹内 洋×小池 真理子 対談)では、いわゆる団塊の世代より少し前の世代に当たる竹内 洋と、団塊の世代の少し後に当たる小池 真理子との対談ということで、主に、当時、何をして、どう思っていたかということが語られていました。残念なのは、竹内 洋が、全共闘に対して、お祭りだったという総括をしている点でした。

 最後の方なのですが、小池 真理子は、ちょっとその総括には不服のようなニュアンスの言葉で結んでいましたが、それにしても、竹内 洋のとらえ方は、吉本孝明とは雲泥の差がありますね。

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