史観宰相論

 太宰と並び、生誕100年である松本清張の本も、今、本屋さんの特設コーナーに並べられています。そんな中、「史観宰相論」(松本 清張 著/筑摩書房 刊)を読んでみました。どうも、歴史的なものは苦手なのですが、麻生首相の自己中心的な居直りの姿を見ていると、それを許している国民と合わせて、宰相には、何が求められるのかということが疑問になってきましたので、丁度、いい機会だと思って読んだ次第です。

 細かな歴史的なことは理解していないので、どこまで、松本清張が論じる点の正否を考えられたかはわからないのですが、なるほどと思う点もかなりありました。

 特に、明治維新での国造りというものがどれだけ大変であり、いわゆる上層部の人間が、何を思って動いていたのかを論じているところは、そういうことだったのかなぁと思いました。

 大久保利通が、天皇を神権者として祭り上げていくことが、日本という国を一つにまとめていくのと同時に、西郷などの征韓論を拒絶し、殖産興業政策を中心に、「富国」を考えなければ欧米列強に伍して独立国家としてやっていけないと考えたのは、わかるような気がします。

 版籍奉還廃藩置県と新政府を中心とした国造りを進めてきた大久保利通とって、欧米を外遊し、列強の真の力を目の当たりにし、国の力とは産業だと思ったのは正しいような気がします。何故、西郷たちは、諸外国の実情を理解しようと、自ら動こうとしなかったのでしょうか? しかし、同様に、征台論では、士族の不満の捌け口として、利用しているのには、違和感を覚えますが........。

 宰相としての器の一つは、時代を見る目なのかもしれません。

 それにしても、松本清張が存命で会ったら、大久保利通の玄孫である麻生太郎をどう評価したでしょうね。

史観宰相論 (ちくま文庫)
筑摩書房
松本 清張

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