国民投票法案の成立

 「国民投票法案」が成立しましたね。

 「稚拙な国民投票法案を成立させていいのでしょうか?」や「国民投票法案、憲法特委で可決」でも書きましたが、こんなに慌てて成立を図るという姿を見ていると、姑息な為政者の姿をさらけ出しているとしか思えません。

 見ている限りでは、民主党も駄目ですね。松岡大臣の光熱費の問題や政務調査費の領収書の問題など、いいように、焦点をぼかされていましたね。もともと、民主党には「国民投票法案」を通したいという気持ちがあったとしか思えないような動きでしたからね。

 そもそも、「国民投票法案」と「改憲」とをセットに考えたのがおかしいですね。

 「国民投票法案」の根幹は、議会という間接的な意思決定にそぐわない重要な問題を、国民の直接投票で決定するということにある、という事を抑えておく必要があります。基本的には、憲法問題とは違うということが重要です。

 で、問題になるのが、「国民投票」の有効票をどう捉えるかということになります。

 民主的にといったときに、まず思い浮かべるのが、多数決での意思決定ということになります。この点にも、確かに問題があります。99%の意見より、1%の意見のほうが正しいということがあるからです

 しかし、欠陥がありながらも、現状では、多数決による意思決定というのが、一番納得のいく方法ではないかと思います。

 そう考えると、多数決であるからして、母数をどのようにするかという問題が生じます。今回は、投票の権利として18歳以上ということになったみたいです。18がいいのか、20がいいのか、それ以外がいいのか、正直言うと、よく分からないですね。

 ですが、一番問題になるのが、半数といったときの母数の取り方で、有権者総数なのか、有効投票数なのかという問題です。

 私は、当然、多数決といえば、「有権者総数」の50%というのが当たり前だと思っています。従いまして、一歩譲っても、最低投票率を設けるべきだと思っています。

 あるサイトを見ましたら、これまでの投票からみて、投票率50%を割らないんだとかということを、何かしら数式を取り出して説明している人もいたり、議会の2/3の歯止めがあるからいいんだとかいっている人がいたりしますが、何で、そんな事をぐだぐだ言うのか理解できませんね。

 いくら高度(?)な数式を持ち出してきても、そんなもの推測にしか過ぎないのですからね。物理や科学の実験とはことなるのですから、未来は、数式で証明するような動きになるという保証は何処にもないでしょうに。何で、絶対50%以下にならないということが言えるんでしょうか? そうだとしても、何故、最低投票率の設定を不要とするんでしょうね。だって、絶対50%の投票率を確保できるなら、最低投票率を設定してかまわないじゃないですかね。

 何で、「国民投票法案」を稚拙に通そうとする人たちの意見は、最低投票率の話になるとむきになって、理論をこじつけたりして不要論を展開するんでしょうか? 何か困るんでしょうか?

 囲碁で、辺や隅の有利な点を利用としようとするようなことばかり考えるんでしょう。一子を取利たいのならば、四子で囲んで取るのが、辺や隅の利点を、白にも黒にも利用できないような方向で考えるのが、よろしいのではないんでしょうかね。

 また、法案提出に、議会の2/3の歯止めというのは、つまり、2/3が歯止めだという根拠が、全く理解できないですね。法案提出と法案決定では意味が違いますね。なので、直接投票に際しての、最終的な意思決定を行う時に、国民の総意であると明確に言えるようにすることが重要なのだと思います。この点をはぐらかすものは、すべて駄目ですね。何らかの、自分に都合のいいように推し進めようとする考え方ですね。

 最低投票率を決めると、ボイコットなどで、重要なことが決まらなかったり、決定が遅くなったりする、とか言っておきながら、最低投票率を設けない場合には、反対する人間は、努力して反対する人を増やせばいいんだということを言う人もいました。おかしいですね。最低投票率を決めても、本当に、変えたいという人が多いなら、それこそ努力して最低投票率を上回る投票数にすればいいのではないでしょうかね。どうも、最低投票率の設定に反対する人の考え方って、逆の発想をしていないで、自分の都合に終止している場合が多く見受けられますね。

 国民投票を図るような重要なもの(この法律では、対象は憲法だけみたいですが)の改訂をするのに、慎重の上にも慎重であって悪いことではないのに、早く早くという姿を見ていると、みえみえの意図に、噴出してしまいますね。

 そして、「国民投票法案」が憲法を対象にするということで、考えてみると、改憲か護憲かという対立になっているみたいですが、こういった対立構造はよくないですね。普通に考えて、あるときには、変える必要があるでしょうから。

 「十七条憲法」をそのまま、現代の憲法として使うということができないという意味では、憲法を変えなければならない場合もあるでしょう。しかし、「十七条憲法」の精神でいかせるものもあるかもしれないですし、古いものが、すべて駄目ということもないのかもしれません。

 戦後憲法にしても、見方によっては、多くの人の犠牲の上に、作ることの出来た憲法であり、一部の人が言うような、押し付けだけで成立したものではないわけです。

 軍事の問題を持ち出して批判すると、軍事アレルギーだと言う人もいますが、警察の本質が、刑事警察と公安警察の二重性にあるように、軍隊というものが、外国との戦いという侵略・防衛ということと、騒乱鎮圧という国内制圧という二重性の上に成立していることを忘れてはいけないと思います。

 国内製圧力があるから、タイの軍事クーデターをみても、北朝鮮の先軍政治などをみても、為政者の国内制圧の道具になっているわけです。

 対外的に軍事力を強くといったとき、どれだけの軍事費を持たなければいけないのでしょうか? 考えたことがありますか。そして、武器開発を続けるために、武器輸出をということになりかねませんね。軍事費には、限界がないということを念頭においておかないといけませんね。

 鏡に映る自分の筋肉を見て陶酔している人のように、軍事力を背景に物を言って喜ぶという自己陶酔型国家になりたいんでしょうか?

 軍事力より外交力でしょうね。

 軍事大国でなければ物が言えないなんて、それこそ、日本人の名折れでしょう。


 どんな時代でも、為政者の行いは、”鵜呑みにしてはいけない”という感覚を持っていたいですね。

 ”鵜呑みにして”お先棒を担いでいる人を見ると、利権を共有する人たちにしか見えなくなってしまいますね(ハマコーみたいに、かつて小泉首相のことを批判すると、選んだんだから批判するなと、テレビタックルで言っていたが、そうではないでしょう)。

 政治が幾多の利権集団との関連で動いていることをいやというほど見てきているので、例えば、政治家が、政務調査費をくすねたということよりも、未来の子供たちが、徴兵制の下に戦場に狩り出される怖さの方が問題ですし、嫌ですね。

 現在の、「国民投票法案」ー「憲法改定」-「集団自衛権」-「軍事力増大」-「派兵」という連環の中には、危険な香りがにおいすぎているとしか言い様がありません。しかも、この「国民投票法案」の成立のさせ方一つをとっても、信頼の出来ない人達だと分かるのでは。国民の声より、別な人たちの声を重視しているとしか見えないですね。

 小泉首相の去った後、安倍首相の、いかにも小泉首相より温和に見える、常識人的な雰囲気の下、いかにも、ひ弱そうに見せながら、色々なことを推し進めている姿を見ていると、小泉ー安倍という連係プレイを見ているようで、騙されてはいけないと身構えてしまいますね。

 エキスポランドの事故で、ジェットコースターは乗り物でなくて、構造物であるそうで、メンテナンス規定など、問題がでてきますよね。そういった、ものの法律などの対応が急がれるんじゃないでしょうかね。

 本末転倒した事ばかりやっていますね。

 以前にも書きましたが、週刊ポストに拠れば、イラクから帰還した自衛隊員の内、陸上自衛隊隊員6人、航空自衛隊員1人が自殺しているという記事が載っていました。

*2007/5/16

 よくよく考えると、変化させることが、「必ず良い」という先見的な観点から見る人がいる感じなのですが、「変える」ということには、「改良」となる場合も「改悪」となる場合もあるということであり、「変える」ということを「改良」だと思っている、ある意味、昔の啓蒙主義を感じてしまいます。

 投票を行う人が、必ずしも優れているとは限らないでしょう。投票する人にも、棄権する人にも、ミーハー的という人はいるのだと思いますので、投票に行かないのが、おかしいんだという議論ではいけないのではないかなぁという気がします。

 したがって、「国民投票」ということ自体と、「憲法を変える」ということは、2段構えのものとして話を進める必要があると思います。

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