理想の人間
大学受験で浪人をしていた時、予備校で知り合った友達に、S君という南の島出身のやつがいました。
長野県のS大学に進学し、私は東京の大学に進学したので、しばらく(2年ほど)音信がなかったのですが、ある日、突然電話が入り、M病院に来てくれということで、出かけました。
M病院というのは、精神病院で有名な病院で、何で、彼が? と思いながら病院に向かいました。
いくつかの黒い重そうな鉄格子を通り、S君に面会することが出来ました。
S君の言うには、大学で火事があり、その当事者としてここに入れられてしまった、俺は何もしていないということでした。
S君の家族のことや実家の住所など知らなかったので、どうしてよいか分からず、そのままになってしまいましたが、1年間という予備校での短い期間では、全く、おかしなことはなかったので、精神病院に入れられているということが理解できませんでした。
その後、S君はどうなったのかなぁと気になる時があります。もしかしたら、彼の言うように本当に、何かの理由で、はめれれて入院させられたんじゃと思うときもあります。残念ながら、当時は、何をどうしてよいのか分からず、そのままになってしまいました。
そのときから、もう40年近くになろうとしていますが、精神的な問題というのが、より日常的な広がりを見せています。
「パニック障害」というものもあり、何らかのきっかけで、病気が発症します。知っているのでは、突然、息を荒げ、うずくまってしまいます。「過呼吸症候群」となり、ビニール袋を取り出して、口を被い、袋の中で息をさせるようにします。
この時も、初めてでは、何が何だか分からず、そばにいても何も出来ません。
運良く、自分自身は、こういう症状になったことが無いので助かっていますが、近くの人間が、このような精神疾患にかかると、途端に、どうしてよいか分からなくなってしまいます。
この時代、「自分らしさ」や「生きがい」などということにこだわりを持ってしまうと、「自分らしさって何?」や「自分らしく生きるってどうするの?」から始まり、最後には、「私には、自分がない」などといって絶望してしまうということが起こりがちです。
「現代 4月号」で、作家の中村 うさぎさんが、『ココロノモンダイ - 1.心の病はなぜ増える?』という連載記事を掲載し、広く蔓延する「心の問題」に言及しています。
「○○べき」という理想に対応できない、例えば、「ストレスもトラブルも無い人間関係こそが理想」などといった、”幻想”にとらわれてしまうばかりに、”生きづらい”という病理に蝕まれて行っているのではないかと述べています。
人間の向上心、潔癖さなど、本来は、よいと思われる心のあり方が、極端に走り病的になっていくという、社会のあり方が、何かおかしいとしか言いようがありません。
さっきまで、普通に付き合っていた人がおかしくなって、どうしていいか分からなくなるという恐ろしさ。
それにも増して、自分がそうならないという保証が何処にも無いという恐ろしさを感じてしまいます。
もしなってしまったら、誰が面倒を見てくれるんだろう?
長野県のS大学に進学し、私は東京の大学に進学したので、しばらく(2年ほど)音信がなかったのですが、ある日、突然電話が入り、M病院に来てくれということで、出かけました。
M病院というのは、精神病院で有名な病院で、何で、彼が? と思いながら病院に向かいました。
いくつかの黒い重そうな鉄格子を通り、S君に面会することが出来ました。
S君の言うには、大学で火事があり、その当事者としてここに入れられてしまった、俺は何もしていないということでした。
S君の家族のことや実家の住所など知らなかったので、どうしてよいか分からず、そのままになってしまいましたが、1年間という予備校での短い期間では、全く、おかしなことはなかったので、精神病院に入れられているということが理解できませんでした。
その後、S君はどうなったのかなぁと気になる時があります。もしかしたら、彼の言うように本当に、何かの理由で、はめれれて入院させられたんじゃと思うときもあります。残念ながら、当時は、何をどうしてよいのか分からず、そのままになってしまいました。
そのときから、もう40年近くになろうとしていますが、精神的な問題というのが、より日常的な広がりを見せています。
「パニック障害」というものもあり、何らかのきっかけで、病気が発症します。知っているのでは、突然、息を荒げ、うずくまってしまいます。「過呼吸症候群」となり、ビニール袋を取り出して、口を被い、袋の中で息をさせるようにします。
この時も、初めてでは、何が何だか分からず、そばにいても何も出来ません。
運良く、自分自身は、こういう症状になったことが無いので助かっていますが、近くの人間が、このような精神疾患にかかると、途端に、どうしてよいか分からなくなってしまいます。
この時代、「自分らしさ」や「生きがい」などということにこだわりを持ってしまうと、「自分らしさって何?」や「自分らしく生きるってどうするの?」から始まり、最後には、「私には、自分がない」などといって絶望してしまうということが起こりがちです。
「現代 4月号」で、作家の中村 うさぎさんが、『ココロノモンダイ - 1.心の病はなぜ増える?』という連載記事を掲載し、広く蔓延する「心の問題」に言及しています。
「○○べき」という理想に対応できない、例えば、「ストレスもトラブルも無い人間関係こそが理想」などといった、”幻想”にとらわれてしまうばかりに、”生きづらい”という病理に蝕まれて行っているのではないかと述べています。
人間の向上心、潔癖さなど、本来は、よいと思われる心のあり方が、極端に走り病的になっていくという、社会のあり方が、何かおかしいとしか言いようがありません。
さっきまで、普通に付き合っていた人がおかしくなって、どうしていいか分からなくなるという恐ろしさ。
それにも増して、自分がそうならないという保証が何処にも無いという恐ろしさを感じてしまいます。
もしなってしまったら、誰が面倒を見てくれるんだろう?