東京エロス

  先日の朝日新聞の学芸欄(?)に、鏡に関する疑問を解説する、子供向けの話がありました。

 「鏡は、どうして左右は反対なのに、上下は反対ではないのか?」というような質問だったと思います。

 そう言えば、確かに、右目を閉じれば、鏡の中の自分は左目を閉じているなぁと思いますし、頭と脚は上下さかさまではないのに、どうして、左右は逆なのかなぁと思うときが有るかもしれません。

 ところが、これは、左右逆ではないのですね。

 レンズと異なり、鏡は、光を屈折しないので、光の焦点というのがありませんので、光は、単に、平行光線として反射してくるだけですので、上下も左右も逆になることは無いことになります。

 しいて言うなら、前後(奥行き方向)が逆になるというものでした。

 何故、左右逆になっていると思うかというと、鏡の像を見る視点が、こちら側に有るのに、逆だと思うときには、視点を、鏡の方に移しているからだそうです。

 なるほど、と思いました。

 確かに、無意識に、視点を操作していることになります。

 こんなことを考えていた時、「東京人生SINCE1962」(荒木 経惟 著)、「東京エロス」(荒木 経惟 著)の2冊が並んでおいてありました。

 いつも、不思議に思うのですが、写真は、多くの人がとりますが、同じ風景を撮ったとしても、何か違います。やはり、写真家と言われる人の写真は違います。

 「天才アラーキー」の写真は、題材的には、人物や日常風景であり、被写体としては、特別なものではありません。

 しかし、何か違います。

 もしかしたら、私たちが切り取る写真というのは、一方的な、鏡の前の視点であり、荒木 経惟が撮る写真には、鏡の側の視点が有るのではないかということを思いました。

 つまり、被写体からの、こう表現したいという思いを、荒木 経惟が汲み取っているのではないかということです。

 この被写体の思いを汲み取れるというところに、きっと、素人とプロとの根本的な違いが有るのではと思いました。

 空間と時間を切り取られた瞬間に、その切り取られたオブジェクトが意思表示をしている、あるいは、意思表示をした瞬間を撮っているのではないでしょうか。

 特に、日常的な写真集を見ると、強く感じてしまいます。

 「東京エロス」などは、映っているものとしては、猥雑であるのに、そうは感じさせない、被写体の力を感じます。

*2007/6/2

 「東京人生 SINCE1962」という写真集も出されています。こちらも、45年分の写真の中から、著者が選択した(当たり前か)写真を掲載しています。

 東京の、あちこちの街角の様子が、被写体となった人の一生に凝縮されて存在します。

 ”街。そこにある「性」と「死」”。

東京エロス
ワイズ出版
荒木 経惟

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