遍照金剛

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<<   作成日時 : 2007/02/01 17:45   >>

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 記憶に残る「別離」の最初は、おそらく5歳頃に、田舎から、東京へ引っ越してきた時だと思います。

 狭い道路に面した田舎の道の両側に、民家が並び、前の家はす向かいの家、そして、たかだか200m程度の道路の端の角っこの家に同じ年頃の子供がいて、毎日のように、遊んでいた記憶があります。

 黄金色に輝く麦畑で、走り回っていた映像が浮かんできます。

 隣の駄菓子屋さん、その前にある芝居小屋、芝居小屋の後ろに広がる麦畑、家の前を通る道とは、真反対に20mほど行くと流れている小川、これらが、当時の私の存在のすべてでした。

 突然、東京へ引っ越すことになり、トラックの荷台に乗り、見慣れた世界・空間が、だんだんと見えなくなっていくのを、悲しく思っている自分を良く思い出します。

 荷台から見る細い道路は、土煙を上げ、小石を踏んでがたがたゆれながら、今まで住んでいた家を小さくして行きます。

 友達が、見送っていたのかどうかははっきりとは覚えていませんが、晴れた穏やかな日だったような気がします。

 引っ越していく理由も分からないし、生きるすべてがなくなっていく気がして、寂しい気がしたものです。

 あのような、寂しさや悲しさは、それ以降無いといってもいいと思います。

 大きくなり、何度か引越しをしていますが、自分で決めたことなので、あの時のような、悲しさも経験したことがありません。

 母もなくなり、兄もひとりなくなっていますが、小さい時に感じた、消失感はありませんでした。おそらく、大人になり、別離ということが必然的にあるということが分かっているからだとは思うのですが、それも、良いんだか悪いんだか。

 母親の葬式の時に、兄は泣いていたのに、私が泣いていなかったと、子供に怒られたことがありましたが、子供は、隠れて泣いていることを知りません。

 喪失感といえば、親や兄弟をなくした方が強いと思いますが、小さい頃感じた、何もかもがなくなっていくという悲しさ・寂しさは、特別な感じがします。

 何が違うんでしょうかね。

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